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「羨ましい」という言葉の使用頻度

私は大人になってフィジーに語学留学していた経験があります。

通っていた学校はフィジアンが教える、英語学校でほとんどが日本人の生徒。

ただ、学校の敷地内での英語以外の言語を口にすることは禁止というルールになっており、3回みつかると退学という仕組みから、英語ができなくてもみんな何とか英語もどきで会話をしていました。

私は中学生レベルの英語もできない状態での留学で、現地で沢山(?)英単語を覚えました。

 

中でも印象的だった言葉は「envy」という言葉。

日本人生徒の友人が皆しきりに使っていたため、覚えた言葉です。

これは「羨ましい」という意味の言葉。

でもこの言葉、フィジアンからは全く聞くことがありませんでした。

 

 

例えば、「家族で海外旅行に行った」と聞いた時、「羨ましい」と口にするのか、「素敵だね」と口にするのか、それだけでその人の心の持ちようが見える気がしませんか?

「羨ましい」という表現になるのは背景に、「自分は独り身で仕事が忙しくて行けないのに家族で海外なんて、いいな」のように、自分の置かれている立場と比べて表現しています。

「素敵だね」には、「家族で仲良く海外なんて楽しそう」のように、その人の出来事だけを切り取り表現しています。

 

フィジアンは楽観的でポジティブ、その日自分と自分の大切な人が楽しく暮らせればハッピーという考え方の人が非常に多く、人と比べるという考え方すらないから、「羨ましい」という言葉を聞かなかったのかなと思います。

 

 

自分と他人比べると、なんだかみじめな気持ちになってきます。

私はこんななのに・・・

あの子はこんな生活をしている・・・

するとそこには負のスパイラルが生まれ、それは加速していく。

 

羨む出来事は沢山あると思います。

羨むなら、それを自分が実現するために努力してみませんか?

資金を作って、時間を作らなければ海外旅行にはいけません。

羨ましいと思うあの人は、それらをクリアして海外旅行に行ったのです。

知らないだけで、海外旅行に行くため、1年間超節約生活をしていたかもしれませんし、お休みをとるために、何カ月も休みなく働いていたかもしれません。

 

結婚を望むのに結婚していない方から、既婚者を見ると「羨ましい」と思う面もあるかもしれません。

でも実は既婚者だって独身者のことを「羨ましい」と思う一面だってあるのです。

ないものを嘆き羨むよりも、今あるハッピーの種を見つけて、望む未来へ向けて行動する事こと羨むことより、しなくてはならないことだと思うのです。

 

 

日本では社交辞令で「羨ましい」という言葉を使うこともありますが、今日からこの言葉撤廃していきましょう。

「羨ましい」は使えば使うほど、自分の価値が下がっていく!

「いいな~」は「いいね!」へ

「羨ましい」は「私もそうなりたい!」へ

 

ネガティブな人のところに、幸せはやってきません。

 

自分が思っている以上に、あなたは沢山いいものを持っているし、あなたはあなたですからね♡